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珈琲千話
著 月魄なゆた


〔コアラ〕
君。
夏の夜。
眠れないとしよう。
暑くて眠れない、蒸し暑くて眠れない。
そんなのは常套すぎる。
こっちで眠れない第一の原因は、そんなものではない。
何かといえば、かですな。
かだよ、つまり、蚊。
海から飛んでくるわけではないだろうに、ジェノバに蚊は異様に多い。
そう思うのは私だけであろうか。
蚊取り線香をつけてみる。
十数年前、これをさがして歩いたことがあった。
スーパーや雑貨屋に見つからず(当たり前か)、相棒に泣きついたら、相棒は、
「そんなのは薬局です」
と力強く断言し、薬局に私を引っ張り、出てきた薬局の兄さんに、
「katorisenkoありますか」
と堂々と訊ねて、隣の私に息を飲ませた。
蚊取り線香、少なくともイタリア語で説明してほしかった。
今ではこれは、ザンピロンと呼ばれて、花の香りのバリエーションなども含めて、スーパーに売っとる。
しかし、ジェノバの蚊には、蚊取り線香だけでは、やはり足りないところがあるね。
虫除けの薬もつけよう。
足につけ、腕につけ、胸にもつけて寝る。
すると、つけ忘れた足の裏をくわれている。
次には足の裏にもつける。
今度は手の指の付け根の間をくわれている。
そこにもつけると、今度はまぶただ。
蚊とは恐ろしい生き物だ。
人がいろいろ居るのに、私ばかりを集中して喰いに来るのは、血液型がAだからではないのか、と密かに疑っている。
私の蚊に刺された記録は、一日で94箇所というのがある。
100を超えたら、誰かに公的に知らせたい。

つまりだ、こんな恐ろしい蚊に食われ、殺してやる、の決意も虚しく逃げられて、必要以上に力を要れて叩くので逃げられるのではないのか、の考えも浮かぶが、怒りのあまり力のコントロールはもはやできなくなって、両手が赤く腫れて来る。
もっと怒らせるための、あの耳元でささやくような音なんじゃないか。
とにかく、こうなるともう眠れない。
眠れない夏の夜の始まりだ。

時々、こんな夜には散歩に出かける。
蚊が来るのは、7月8月が主だろ。(今年は11月も来たが、そんなのは例外だろう)
夏には仕事もあまりしないし、早仕舞いしようか、という夜に、蚊が襲ってくるわけだ。
一旦眠って、目が覚めたのなら、仕方ない。本でも読むさ。
しかし、まだそこまで夜が進んでいないとき。
相棒でもいれば、また都合がいい。歩きながら討論ができる。
だから、ぽりぽりしながらの夜の散歩に出る。2時、あるいは3時。

涼しい風に吹かれて、人が少ない気配を感じられる、眠り込んだ町中、歩き回るんだ。
空を見上げて、月や星やを眺めたり、なかなか風流なものだ。(ぽりぽりはしばらく続けているが)
歩きに歩いて、5時にも6時にもなってしまうと、パン屋などが開き始めるが、2時3時はどこも閉まっている。
と思っていたら、そうでもないことを、この前、発見したのさ。
このバー。コアラが開いていた。

また長い前置きになってすまんな。
つまり、コアラというバーは、夏の間、開店している時間帯が延びるのを発見したんだ。

それまでも、時々は来たことのあるバーだった。
海の近く、ピッツァ屋二つに挟まれたバーだから、誰かとピッツァを喰いに行くことがあれば、喰った後にはここでコーヒーを飲むんだった。
ピッツァ屋は、高級で有名なのと、安くてちょっとガシャガシャのタイプのとだが、喰い比べてみると、安い方がうまい。
高級な方は、生地がべとべとだ。
前もって作って置いたのを、温め直して出してる感じだったぞ。
安い方がぱりぱりさ。
辛味の野菜ルコラのピッツァか、マリナーラ(トマトソースにおろしたにんにくを入れただけ)のが、私のお勧めだ。
シンプルにうまい。
で、それを喰ってしまうと、最後の一切れを平らげた15秒以内には皿を下げに女の子が来てしまうから、ピッツァ屋は長居ができない。
さっさと払って、さっさと出る、そしてどっちのピッツァから出ても目の前にある、このコアラバーに転げ込む。

このバーは、どうも家族でやっているが、痩せ型で背の高い若者がカウンターにいる時、コーヒーは一番うまいようだ。
てきぱきした若者だが、こいつは割りに親切で、すぐ出るから、と思って立ったままいると、
「座らないスか、座っているの見慣れてるから、どうぞ」
なぞとうれしい事を言ってくれる。
喫煙者用にだろう、外に座るスペースが、このごろぐっと広くなったようだ。
そこに座って、人は食うこともできる。
コーヒーはLavazzaだから、まあまあだよ。(おばさんにぶち当たらないとな)
夜中過ぎ、ここに来てゆっくりコーヒーを飲むことができるのは(あまり頻繁にやらないにしても)、心強い。
君もそう思うだろ?
あの、24時間営業のコンビニエンスストアーを彷彿とさせてくれるじゃないか。
(君なんか、当たり前すぎて、有り難味がうすくなっているだろうがな)
だから、覚えているといい、夏、8月は、なんと明け方4時ごろまで開いているバーがあるとな。
金.土 3:00〜4:00
他の日はその日次第