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夏の章
私の名はアンナ。
伊藤安奈だ。
私はこの街の中心にある交差点の脇で、一人一晩を明かした。
思えば昨夜も暑かった。テレビの天気予報では、最低気温は二六度、熱帯夜と呼ばれる夜だった。
東の空のビルの谷間から、夏の太陽が顔をのぞかせている。交差点の車はこの時間まだまばらだった。
人通りも少ない。私は、短パンに、Tシャツという出で立ちで交差点の脇の植え込みに足を抱え座っている。
高校はまだ夏休み。歩行者信号が青になり、しばらくすると点滅する。
私は家を飛び出してきた。父親がすぐに暴力を振るうからだ。
昨日も、お父さんと喧嘩をして、ここへ来た。
交差点の歩道では、そろそろ近くの会社に勤めるサラリーマンたちの通勤時間だ。
クールビズでネクタイのないワイシャツを着た男たちが行き交う。
そして、ビルへと消えて行く。
私は、スマホに目を落としながら、誰かを待っている。もっとも、あてはない。
誰かが私を助けてくれる日までこうしていようかと思う。
やがて、髪を銀色に染めたホスト風の男が私に目を止めた。私は身を固くした。
いわゆる風俗スカウトといわれる連中だ。若い女の子に声をかけ、風俗店で働かせる。
その男は私に近づいて来て、声をかけた。
「どうした。こんなところで座り込んで」
「……」
私は黙っていた。返事をしない。その場に座り、スマホを見ている。
「腹減ってるだろ?」
「金がないだろ?」
私は黙ってスマホを操る。しかし、私はお金を持っていなかった。お腹も減っている。
私は、喋らずに、その男の顔を下から見上げた。
スカウトはニコッと笑った。
「あのう……」
「わかってるって、ハンバーガーでいいだろ」
私のお腹が鳴った。
「それ見ろ、腹が減ってるんだ。よし任せとけ、俺でよかったらおごってやるよ」
私はこのまま、お腹をすかせてここに座るよりも、少し何かを食べたほうがいいと思った。
「連れてって……。御飯……」
私はそのスカウトについて行った。
そのスカウトは、近くのビルの一階にあるハンバーガーショップに連れて行ってくれた。
「腹減っただろ。ほら、喰え」
私はスカウトの金で買ったハンバーガーを食べた。ハンバーガーショップは朝の客で混みあっていた。
チーズバーガー二つに、ポテトのSサイズ、眠気覚ましのアイスコーヒー一杯。
スカウトはニコニコと私を見ていた。朝ごはんを食べ終えた私は、この後どうしようか考えていた。
うまくスカウトに御飯をおごらせた。あとは逃げるだけだ。
このままついて行ったら、何をされるかわからない。
私たちはハンバーガーショップを出た。
私はハンバーガーショップの前で、スカウトの隙を見て逃げ出した。