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                                槻勇治 著

 第一話

あれはー そう、私が高校一年の冬の出来事だ。部活帰りに、いきつけのラーメン屋さんによって食べて帰ろうということになり、先輩二人と三人での帰りがけ、ひとりの老婆が目にとまった。
「?・・・」 白髪で腰の曲がった小さなその老婆は、もごもごと口を動かして、聞き取れないくらいの小さな声で何やらしゃべっている。その目は悲しげで、校門から出てくる学生らを追っていた。
(何してんねんやろう?) 私は何故か妙に気になった。いつもなら、変わった人がおるなぁ くらいにしか思わずにその場を立ち去っていたであろうが、この時は、何かしら変に気にかかった。
私は先輩に、先に行って下さいと伝えておいてから、その老婆に近づいてゆき
「どうしたん おばぁちゃん?」と声を掛けてみた。一瞬、ハッとした表情を見せたが、こちらの作り笑顔を見て、すぐにもとの、何とも悲しげな顔に戻り言った。
「おばぁちゃんな、今日な、学生さんの運動見にきてんけどな・・・」
「運動?」と聞き返してすぐ(あぁ グランドを使用しているクラブ活動のことやな)と理解した私は
「残念、おばぁちゃん。今日ねぇ、テスト前で運動クラブも、ほかもみんな早く終わってしもうたわ。」と言うと「う〜ん」と言いながらそこに固まっている。
「でも、テストが終わったらまたすぐに見学出来るよ」
「・・・。」体を小刻みに揺らしながらうつむいている老婆。
先輩のことが気になりだしていたこともあり
「おばぁちゃん、こんなとこでずっとおったら寒いでしょう。今日のところはいっぺん家に帰ったらどうですか?」と言うなり、急に泣き出しそうな顔をして
「家帰ってもおもしろないねん。おばぁちゃんな、家おりたないねん!」
「なんで?」
「ひとつもええことあらへんねん。嫁は意地悪やしな、孫もな、近づけんようにしよるねん。旦那は会社行っててなんもようゆわんしな」 (しまった! 愚痴を言いにきたんかぁ。クラブ見学は口実か、それとも気晴らしやったんか)とは思いながらも
「そやけど、ご飯食べなあかんでしょう」
「もういらん・・・。」とつぶやく顔は暗く寂しそうだ。
「そらあかんでおばぁちゃん! 人間寒いのとひもじいのはマイナス思考になるからな。悪い方に考えてしまうもんや」と、わざと陽気に振る舞ってみせると、少しはにかんだような顔をして
「にぃちゃんはえらいことゆうな。 ええなぁ にぃちゃんは元気でわこうて(若くて)」
「・・・」
「おばぁちゃんがにぃちゃんぐらいの時は嫌な戦争があった時でなぁ、そら大変やったわ。ほんで、やっとやと思うたら・・・またこんな嫌な思いせんならんやなんて、ええことなんかあらへんわ」
私はこの戦争という言葉に反応した。もちろん戦争を知らない世代の人間である。しかし私は、祖父が広島県の出身であり、原爆の話を幼い頃からいやというほど聞かされてきた。
今から思うとあの時、老婆のかもし出していた雰囲気と、祖父の祈りにも似た想いに後押しされたのだろう思う。私の頭の中に記憶された祖父の強烈な語りが、若さも手伝って一気に溢れ出た。
「僕のじっちゃんが広島の出身でなぁ。今でも原爆の話をよう聞くわ」
「ピカか?」(当時民衆は、原子爆弾という名を知らず、よくピカドンとかピカとか言っていたらしい)
「そうゆうらしいなぁ。その一発で街が消えたって。爆心地からちょっと離れとったんで、じっちゃんは何とかギリギリ助かったんやて。そやけど、兄が街まで買いだしに出とってやられた    んやてゆうてた。最初はわからんから兄を捜しに行ったんやて。市内へ入ったとたん、地獄絵図やったって。死臭とうめき声があちこちでしてて、言葉のほとんどが 水・熱い・助けてやったらしいわ。じっちゃんな、人間靴下が歩いてるんやってゆうとったわ。なんやそれって聞いたら、靴下二つを一足にするのに、クルッと、人間の内側と外側をひっくり返したような人間がそこら中を歩きまわってるゆうんや。原形がわからんくらいにみなズルズルなんやて。なぜか手をこう、 前に突きだして」 
「うわ〜」と、溜息に近い声を上げて、老婆は胸前で合掌している。
「目を覆いたくなるような光景やったって。。すでに息絶えてる母親のお腹の上を弱り切った赤ん坊が、おっぱいほしさに這い上がろうとしてるんも見たって。道端に真っ黒い大きな石みたいなんがあるとおもうてよう見たら、人やったって。何かに覆い被さる格好して死んでたから、何を隠してんねんやろうとおもうて、ちょっとだけ持ち上げたんやて。そしたらボロボロのタオルにくるまれた赤ちゃんがおってな、すでに息絶えてたんやて。その時じっちゃん、想像出来たってゆうてた。このおかぁさんはピカが落ちた時、我が子だけでも助けようと必死に庇ったんやろうと・・・。じっちゃんはその親子見てて思わず合掌したってゆうてたわ」
 老婆は目に涙をいっぱいためてうなずいていた。