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著 赤羽 久忠

 いよいよ約束の日、妻と娘は期待と不安を抱きながら、その保健所を訪れた。クロとの遭遇のドラマが、ここから始まったのである。
 雨の降る日曜日の昼下がり、休日のせいかいつもは車で溢れる広い駐車場も、その日は車も人影もほとんどなかった。
『一体、どんな仔犬が待っているのだろうか? 仲良しになれるのだろうか? 吼えたり咬みついたりしないだろうか?』などと、二人は色々な不安と期待を抱え、ドキドキしながら、指定された休日用の入口から保健所の建物に入って行った。
 何の飾りもない殺風景な雰囲気の中、一人の男性が現われた。その男性が担当の方で詳しい説明が始まった。
「保健所では、生まれたけど引き取り手がなくて困っている仔犬や仔猫、またはしばらく飼ってみたが飼い続けることが困難になったような犬をしばらく預かって新しい里親を探すが、それでも引き取り手のない場合は仕方がないので始末=i安楽死?)される。またこの数は人間の努力で大幅に減らすことができるということで、様々なグループや有志による活動・努力が行われている……」と続いた。
 そしていよいよ対面の瞬間が訪れた。引き取り手のない仔犬の中から、世話をしてくれた保健所の人が一匹だけ小さくて黒い仔犬を別の檻に入れて
用意してくれていた。
「……可愛い!」
 娘がその犬に近づく。その黒い犬は、愛くるしい瞳で二人をじっと見つめた。そして二人は、その犬の(クーンクーン)というような甘えた声を聞いた。二人は顔を見合わせ一瞬、言葉を失くした。妻にはそれが『私を助けて!』という言葉に聞こえたようだ。その瞬間、妻の母性本能に火がついた。
「私があなたのお母さんよ。必ず守ってあげるから!」
 妻の目から涙が溢れた。こうなったら、抱きしめた仔犬がオスだろうがメスだろうが、そんな事はどうでも良かった。妻や娘は、『偶然出会ったには違いないが、何か逢うべくして逢ったような強い必然性を感じた』という。
 この瞬間、仔犬は安楽死≠ヨのプロムナードから脱出した!
 人の心を捉えて離さないつぶらな瞳≠フ勝利と言ってもいい瞬間だったに違いない。すぐに登録や予防接種などの手続きの話を聞いて、その仔犬を連れて帰った。
 これが現在我が家にいるクロである。
 私や長男は、保健所に行ってはいないのだが、みんな始末≠ウれるかもしれなかった筈の一つの命を救うことができたという充足感があった。
 盲導犬や番犬など特別な目的をもって犬を飼いたい場合や、愛玩用でも特別な品種の犬を飼いたい場合は別にして、特に条件がない場合は我が家のように保健所へ行くことをお勧めする。色や体形など、保健所に希望を伝えておけば、できるだけ希望に沿った犬を選んでくれるということである。
 
 あなたの行動で一頭の犬の生命を救うことができるかもしれないのだから------