「いや残念ながら、わしゃ今までの作品をお見せしましたが、あの場では作っていません。それに今までの作品は、わらも違いますのですぐに分かります。一体その作品はどんな物でしたか？」
権じいさんが尋ねた。
「それなのです。可愛い赤い鼻緒の、ええ、みんな鼻緒は大体赤なのですが、それは着物の柄みたいなもので…何と言うのでしょうか、そうそうちりめん？ 上手く言えないのですが、布が縮んでいるのですね。その時の鼻緒の材料は各自用意しても良いし、たぶん自分で用意したものだと思いますが」
（赤い鼻緒！）権じいさんは、受話器を握り替え、身を乗り出して聞いた。
「その柄には桜の花が付いているのかね？」
「そうですね、桜の柄でした」
担当の教師は思い出しながら答えた。
「赤と青と白と紫の？」
権じいさんは、それをはっきりと覚えていた。
「そうそう！ それです」
権じいさんは、あの小さな女の子鈴子ちゃんの笑顔を思い出した。
「それは鈴子ちゃんのですわ」
「鈴子ちゃん？」
「ええ、小さな女の子、一番小さな子ですわ。名前は鈴子ちゃんです。その子の作品に間違いありません。私も驚くほどの出来栄えでしたから」
「鈴子？」
「ええ、その時名前を聞いたら〝鈴子〟と言いましたから、確かです」
「ちょっと待ってください…一旦電話を切っても宜しいでしょうか。また改めて連絡しますので」
教師は慌てて電話を切った。
「何じゃ失礼な奴じゃ」
権じいさんはそう思ったが、鈴子という名前を聞いた途端に電話を切ったのが不思議だった。何か妙なものを感じたが、連絡を待つことにした。
鳴り響いた電話の受話器を耳にあてると、今度は女の先生の声がした。
「先ほどの件ですが」
先生の話を聞くうちに、権じいさんは言葉を失っていった。
「私にも信じられないことですが、そんなこともあるのかと改めて不思議な気持ちでいっぱいです。実は、私は鈴子ちゃんの担任でした。鈴子ちゃんは幼い頃から病気がちで、学校にもなかなか来られず入退院を繰り返していました。小学生の時には1年間全く登校できない日があったということでしたが、それでも中学になると少しずつ学校に来る日が多くなりました。私は1年の時から担任をしていましたが、1年の終わり頃には体調が良い日も多く〝先生、私、運動したい〟なんて言いましてね…でも鈴子ちゃんは運動が禁止されていたんですよ。体が弱いだけじゃなく、成長もずいぶんと遅れていたようです。しかし、とても優しい子で、疲れやすい身体なのにいつもおばあちゃんのことを逆に心配して、クリスマスには〝おばあちゃんに作ってあげるの〟そう言ってせっせとマフラーを編んでいるのです。とっても上手で〝おばあちゃん喜ぶね〟と言うと〝おばあちゃんも私の編んでくれているの〟そう言うんです。そりゃもう仲の良いおばあちゃんと孫だったのです。ええ、鈴子ちゃんは、おばあさんと二人暮らしだったのです。そんな鈴子ちゃんが楽しみにしていたのがキャンプです。ええ、初めは誰もが無理だと言いましたが、前に比べてずいぶん元気になったし、おばあちゃんもお医者様に許可をもらったからと、喜んでいたのです。ところがキャンプの前に、鈴子ちゃんは風邪を引いたのですよ。ええ、風邪くらいと思うのですが、身体の弱い鈴子ちゃんには単に風邪を引いたでは済まなかったのでしょうね。可哀想に、あっという間に亡くなってしまったのです。そんな馬鹿な、と誰もが思うようなあっけなさでした。ええ、おばあちゃんの悲しみはもう口では言い表せません。
〝鈴子一人じゃ可哀想だ〟そんなことを周りの人に漏らしていたようでした。後で分かったことですが、おばあちゃんは鈴子ちゃんが亡くなってから、全く食べ物を口にしなかったそうです。年老いて何も食べなかったらお分かりでしょうが、おばあちゃんも鈴子ちゃんの後を追うように亡くなってしまいました。しばらくしてキャンプが行われました。ええ、今回のことです。あなたは間違いなく鈴子ちゃんとお話をされたんですね」
呆然と話を聞いていた権じいさんは、そんなこともあるかもしれないと頷いていた。
今思えばすり寄ってきた気配も、いつの間にかいなくなってしまった気配もまるで人間のような感じがしなかったからだ。風のように寄り添い、去っていった。
権じいさんは、目を閉じて深く息を吸い込むと、
「間違いありません。わしは、鈴子ちゃんと話しました。〝自分の名は鈴子〟と、はっきり言いました」
そう答えながらも、権じいさんは鈴子の柔らかな笑顔を思い出していた。
「今回のコンクールの素晴らしい作品は、鈴子ちゃんのものだったのでしょうか？」
先生は自分を納得させるように聞いた。
「わしゃ、そうだと思います。あの鼻緒の色は今でもはっきりと覚えていますから」
握りしめた受話器を持ち直し、確信を込めた声で権じいさんは言った。
「そうですか。鈴子ちゃんは楽しそうでしたか？」
先生は泪声でやっと声を出した。
権じいさんは、その時の鈴子ちゃんの姿を思い出すと、込み上げる想いで胸が詰まった。
そして呼吸を整えると、
「とても楽しそうだったようじゃ。それ以上にわしも楽しい時間を過ごさせてもらいましたよ」
権じいさんは、言葉を噛みしめるように答えた。
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