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ご注文



著  月魄なゆた



君。
古きよき時代のこの話を聞いて、君はどう思ったかね。
この男はどっちだったと考える?
遠回しの手掛かりとして、男がブラジルで書いたいくつかの本があるよな。あれをカネッラ教授の失跡前のとよく比べてみれば、考え方の相違があればはっきり分かるだろう。書く時は、その者の性格は隠せない。
ブルネリの書いた本の原稿もあれば尚いいんだが、あれは失くなって、裁判の時にも見つからなかったのは残念だった。
しかし、今からでも、いや今だからこそ、確かめる方法があるじゃないか。
ほれ、DNAの検査があるだろう。
カネッラの失跡前の子供たちのDNAと、裁判の後に生まれた子供たちのDNAを比べたらどうだ?
ついでに、それをマーリオ・ブルネリの子供のと比べる。あるいは孫たちのでも。
そんなことでもやれば、一発で判る。
しかし、今更やらん方がいいかも知れん。
そんなことをして何になる?
謎はいつまでも謎であるからいい。信じたいことを信じていればいい。
分かってしまえば、この話に登場した人物たちの心を思いやることもなくなるだろう。
君、今度、ひまな時には想像してみてくれよ。
ジュリオ・カネッラの妻について、マーリオ・ブルネリの妻について、 それぞれの子供たち、それからあの記憶のない男についても。
そして自分の人格が、人に、自分に、どういう意味を持っているのか、さ。
できることなら、君は、自分の名を捨てて、過去や絆も捨てて、考えさえも捨てて、そうして全く別の人間に、果たしてなってみたいだろうか、な?
相棒の友人は、自分の何かを失くした。そして新しい自分を受け入れることができなかった。
しかし、男は始めた。新しい生活。新しい家族、新しいアイデンティティー。そして新しい考え。
いったい何がなくなると、自分ではなくなるのだろう。
この男のように、過去の記憶か。相棒の友だちのように、自分の能力か。持っていた道徳心か。
それともそれは、呼ばれる“名前” なのだろうか。
自分が失われたと思うのは、何が欠けた時なんだろう。
“自分” は何でできているのか。
どうなんだろうな。
私も考えてみるよ。
暖かくなるまで、時間がありそうだからな。
今は、急いで帰って、熱いコーヒーを作ろう。
じゃあな、君。
また書くよ。
またいつか。
元気でな。